国民国家か帝国か
- 相達 大山
- 2月9日
- 読了時間: 2分
国民国家か帝国か、について考えるキッカケは三橋貴明さんの著作『明治維新の大嘘』から始まる。当該書には国民国家は植民地を、帝国は属国を拡大したとあるものだから、なぜ、国民国家は植民地で、帝国は属国なのか、と疑問に思った。多少の違いはあれど支配と被支配は変わりない。そして、日本は国民国家である。戦後前は帝国だったという人もいるだろうが、それは国民国家と帝国の違いを理解していない。国民国家とは単一文化を共有する国家であり、帝国は多文化を認めている国家だ。なんとなく帝国のほうが多様性を認めているので国民国家より優れた国家のようにも感じるが、帝国をまとめている力は軍事力だ。帝国は軍事力によって多文化を強制的にまとめている。国民国家も軍事力で植民地を支配しているのだが、通常、植民地を収奪するために多大な投資をする。それに対して帝国は交易、もちろん交易のためのインフラは必要不可欠だが、の拡大により利益を得る。つまり、国民国家は単一文化であり、帝国は多文化である、と国民国家と帝国を定義する。
前述のとおり、単一文化である日本は国民国家である。国民国家は文化を共有する代わりに他文化を認めることは苦手である。つまりは日本において多様性を求めることはそぐわない。敢えて言うなら来日、在留外国人が日本に合わせることが正しい在り方なのだ。日本は排他的ではあるが共同体の一員として認めたものには思いやりを持つ。このことを理解していない日本国民がいることが問題だ。
なぜ、国民国家である日本に多様性を求めることを正しいと日本国民に思うものがいるのかは戦後教育に問題があるからだ。戦後教育によって日本の歴史は改ざんされ、共同体は解体され国民国家としての要件をことごとく破壊された。三橋貴明さんは、これを縦軸のナショナリズム(歴史)と横軸のナショナリズム(共同体)と呼んでいる。
戦後80年、戦後前の記憶が失われようとしている。歴史を軽んじ、共同体を否定している国民が多数派になろうとしている。今の日本を作ったのは、まぎれもなくアメリカ軍である。それすらも自覚がない日本国民。まだ間に合うのか、もう間に合わないのか、間に合わなくても感情に突き動かされる以上、止まるわけにはいかない。
復國!日本を、取り戻す。経済を、取り戻す。安全を、取り戻す。
諦めるわけにはいかない。
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